僕の父でもある先生は、学生時代に少林寺拳法の
乱捕りトーナメントを経験しています。
(少林寺拳法を始める前に空手もやっていましたが、
そ(S)んなの関(K)係ない)
競技乱捕りも空手も同じことで、実際の強さでは、
「そんなの関係ない(=SK※)。」と父は言うでしょう。
「競技乱捕り」と「護身」を分けて考えるということは、当然です。
実際のコンペティション(競技)ということになると、
父の言いたいことは「しても、しなくてもいい」ということなのでしょうか。
そして、少林寺拳法という護身は「負けないこと」が重要です。
正直いうと僕は他流派の競技大会を経験してみたいです。
でも、少林寺拳法は「どれだけ強いか」すらも
「勝手にしてくれ」というスタンスです。
そういう時代ではない、と。
う~ん。でも、そうなると「何のために少林寺拳法やってるのか?」
と、いうことになりませんか?
山崎校長先生が40周年の時おっしゃっていましたが、
まさに、「鍛えた拳はどこへ行く」ですよ。^^
実際にやってみてリアルにケンカで(突然の暴力に)強ければ、
いいですよね。それは、実際にそういう場面に自分が合わないと、わかりません。
そして、そうなったら「なんでもあり」だと思いますので、
プロ選手でも、たぶん素人に負けちゃうでしょう。
今の時代、普通の生活をしていれば、ケンカに遭遇することはまずないですしね。
父は乱捕りトーナメントがなくなっていく様を見てきた「過渡期」にいて、
道院長でもあるので、乱捕りトーナメントの
「復活の可能性」を訊くと、はっきり「ない」と、言っています。
そこで・・・、自分はいったい何がしたいのだろうか。
護身で身体を鍛えるための修行なのだろうか。
精神修養か?女性の健康や美容のため?
いやいや、そんなのカンケーない(=SK※)。
父は、「必ず(スポーツ選手は)負ける時が来る」と言った。
自分も「勝つこと」よりも、「負けないこと」が大切だと思う。
でも、自分は「・・・最終的に、勝つ」ために、少林寺拳法をしたい。
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