思い返せば、僕は父から護身の技術としての少林寺拳法を学んでいたように思います。

大会後、父からの言葉が印象的でした。「大会で入賞させるためにやってるんじゃねぇんだ!」と。

しかし、実は少林寺拳法の演武での大会結果は、本来は全く関係ありません。

見せかけだけの演武を目指す結果は、技の形骸化に繋がります。

なぜなら、全員が形だけの演武を目指しているからです。

それは、演武が修練方法の主体であるため、ある意味、仕方がないことです。

体裁上は「武的要素を満たす」とか、カッコいいことを言っていますが、

学校関係者になると大会の結果にこだわり、どうでもいいことに気を取られがちです。

しかし、少林寺拳法がこのように発展したのは、絶対に演武のおかげです。

僕は昭和の少林寺拳法が好きです。

男どもで集団でジープを乗り回す少林寺拳法の時代があったそうですが、

少林寺拳法は宗由貴さんになってから、優しくなりました。