若者たちが高校や大学時代、数年にわたり少林寺拳法に没頭する理由は一つ。それは、この武道が終わりのない冒険であるからだ。

彼らは厳しいトレーニングや部活動に没頭し、老練なる先輩たちとともに道場で日々を過ごす。しかし、この修行は遊びではない。期限があるのは、大会に向けてのトレーニングがその背後にあるからだ。

一方で、社会人や高齢者たちが少林寺拳法を続ける理由は異なる。趣味の延長線上かもしれないが、それはただ楽しむためだけではない。

彼らもまた、挑戦の継続を通じて自分を鍛え上げている。

ここで言う「修行」とは、単なる練習以上のものだ。少林寺拳法は生涯にわたる冒険であり、その奥深さは一度たりとも尽きることはない。競技者も趣味の追求者も、全ての修行者が共有するのは、終わりのない成長への渇望である。

少林寺拳法のリングで戦う学生たちは大会での結果を追い求めるが、同時に自らとの戦いも続けている。そして、社会人や高齢者は単なる趣味の延長ではなく、自分を鍛え続け、新たな高みを目指している。

この武道の本質は、終わりのない挑戦であり、一生を通じて続く修行なのだ。