日本武道館の拳士と柔法の練習をしていた時に、

「対少林寺拳法」風な組技のかけ方しか知らないようなので、

「少林寺拳法の拳士は一本背投げに慣れてるけど、

柔道経験者なら、背負い投げに入る前に、

必ず何かしらフェイント入れてくるはずだよ。」

そんな感じで柔道風なかけ方を教えてあげました。

僕は柔道を中・高とかじっていたので、

ショーリンジャーが柔法乱捕りする時にも、

少し変化をつけてみるのも良いのではと思います。

すると、その拳士にこんな質問されました。

「やっぱり、少林寺拳法以外の武道も経験した方がよいのですか?」

そういう疑問は、少林寺拳法を熱心に練習してきた人ならば、

誰もが抱く疑問です。しかし、その質問に対して、

僕はなんともアドバイスしづらいです。

少林寺拳法をしている古い先生なら、そんなの関係ないです。

「他の武道をしている、していないは、あまり問題ではない」というでしょう。

というのは、他の武道をやりたいと興味を持った時点で、

「あまり少林寺拳法的ではないから」です。

これは日本の伝統的な能の考え方に通じるところがあり、

「能のある流派に生まれて、それを初めに選んでいることが、

運命で、他の流派に興味を持つこと自体があまり能的(≒少林寺拳法的)ではない」ということです。

僕はテコンドーや柔道などのスポーツも、

幸いにもかじっています。

個人的にも、もっと冒険したいです。

新しい時代に生まれて、これから新しい少林寺拳法を

作っていきたい僕らも、少林寺拳法以外の他の武道をしては、いけないのでしょうか?

僕はそんなことはないと思います。

昔だったらよかったのかもしれません。

でも、時代は今も刻々と変化しています。

違う業界、業種は新しい可能性の宝庫です。

時代に取り残される前に、ゆずれない伝統を守りつつも、

その時代に生まれた人に合わせて、

少林寺拳法の思想も技も柔軟に進化すべきです。

拳法が実際には使えない技術になってしまっては、

いけないし、「最新版の少林寺拳法」を拳士は、

おのおの自由に作っていくべきと思います。

色々なやり方があるけれども、

「世界で一つの少林寺拳法」であるのが本来の姿だと思います。